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第二十九章 都會村落地論

第一節 村落の形狀と地

村落は人類の社會の最も簡單なる最も原始的のものなり。されば其發生地及び其形狀等は最も自然的事情に支配せらる。其發生地は言ふ迄もなく人間生活に便宜なる所にして、此地點は上來の開陳によりて類推し得ベければ玆に述ぶるを要せず。唯だ現に吾人の周邊に存在する村落の形狀を觀察するときは畧ぼ其の發生の本源、從って地との關係を了解するに足れば少しく注意する所あらん。

一、横列形村落 

人家が道路或は小川を挾み、其れに竝行して兩側に繁殖したるものを云ふ。其發達を觀るに通常新生の家屋は次第に兩端に加はり、往々里餘に連なる長村をなすものあり。成るべく戸々相向ひて竝列せんとするものなれども、岩濵の漁村に於て見るが如く、對立の地幅なきものは片側にのみ竝列す。其連續の長サは若し其兩側に膨脹を障ぐる事情の存ぜざる限は或る程度に於て停まりて横幅に膨脹し次ぎに擧ぐる形狀を呈するを常とす。所謂沿道村の名稱を避けたるは道路沿へる村落にして他の形狀を呈するものあればなり。

二、重横列形村落 

是れ前種の村落の發達したるものにして、人家次第に增加するや人は生活の便宜上一列の長續を好まずして其兩側に竝行して繁殖するを常とす。各村に表町、裏町の稱あるは即ち此發達を示すものなるが如し。村落の膨脹するに當り地勢若し平坦なる原野なるときは規則正しく兩側に竝行すと雖も、若しも、海岸、河岸、湖岸、若くは岡坂等に沿ふときは、兩側に擴張する能はざるが故、止むを得ず片側に膨脹するに至る。又た其地勢が緩斜の丘坂なるときは、平面に於て竝行するのみならず、側面に於ても竝行する階段狀村落を呈するに至る。此種の村落の中心點と云ふべき最も繁盛なる部分、若くは富裕者の占居する部分は、村落の發源地たる街道に沿ひたる部分即ち字、表町の中央部にあるものなり。

三、交叉形村落 

横列村落の發達せる結果、一種の複合的形狀を現はしたるものにして、横列村落が竝行をなさず或る角度をなして連續したる者。道路の交叉せる所、小流の會合せる所、小流の湖、海に注入する所等に發生するものなり。此種の村落の中心點と云ふべき所は交叉點に最も近接したる所にあるを通常とす。

四、圓陣形村落 

堡砦、社寺、僧尞、富豪の庭宅、名蹟、湧泉、小港等を中心とし其周圍に人民の聚落したるもの。從ひて其外形多少圓陣狀をなすものを云ふ。但し其中に地勢の如何によりて完全に近きものあり、然らざるものあり。港を中心とせるもゝの如きは多く半月形若くは新月形をなすものなり。其他の建築物を中心とせるものにありては多くは塊狀をなすものなり。

五、嚢形村落 

横列形村落の一端の塞がりたるものをいふ。神社、佛閣によりて起りたる村落に多し。蓋し社寺の多くは背後に欝蒼たる森林を控えたる莊嚴の地を選ぶを常とすれば、其下に集りて神佛の加護を祈るもの若しくは參詣の客を見充てに利益を得んとするものは先づ其門前に集り、之に最初の部落を造り、之より神殿の正面の道路に沿うて擴張し、以て所謂「行留り」の村落を現はするに至る。

六、散點狀村落 

村域の輪廓上より之を見れば鬆疎なる團塊狀と名くるを得べきも、戸々各々思ひ々々に彼處是處に散在し、各戸の方向も夫々參差錯雜するものを云ふ。是れ旣に發達したる人民の移住地に於て生ずるものとす。北海道の如き近來の新開地に多し。

七、斑點形村落 

前種の各戸分散に對して稍々集合せるものゝ名にして、五戸、三戸、十戸と彼處、此處に散在する小部落を以て一村を形成するものを云ふ。前の各種に發達すべき村が丘陵谿谷等に跨るが爲めに是に至りたるものなり。されば其中に各小部落は以上の内の何れかの形狀をなす者なり。近來に至り行政上の必要より二ヶ村乃至數ヶ村を翕合して更に大なる一村を形成したるによりて生じたもるものゝ如きも此種に屬すべきものとす。

八、碁盤形村落 

近來に發達したる殖民地の如きは、其發育以前に於て豫め人爲的區劃をなし、然る後に其方針に從って移住せしむるを以て、外界の勢力を顧慮するの要なく唯々村民の生活に最も便利なりと信ずる方法を採用するを得。之が爲めに道路を成るべく直角に近き縱横に通じ、玆に秩序整然たる碁盤形の村落を呈するなり。北海道の近來の殖民地の如き皆な此形狀をなす。而かも自然に發育したる村落には決して見るべからざるものなり。されば此等の外形は明かに發達したる人民の移住地たるを顯はすものと云ふべし。

以上の如く區分すれども近頃の新植民を除けば吾人の周邊に目撃する村落は槪ね近きも數百年、遠きは數千年の星霜を經過したるものなるを以て、其間には幾多の變遷をなして、今や初發の原型を留めざるものあり。從ひて一村に全諸種の形狀を併有するものあり。是れ吾人の注意すべき所。但し其内に於て變遷の多きものは發育して都曾となれば村落の大多數は大火災、震災等、一村の全躰に影響する大變動のあらざる限りは依然として舊來の形狀を存するなり。

村落は又た家屋集合の密度によりて區別するを得密聚村落及び疎聚村落是なり。是れ前記の區別に於て幾分か論入したる所あれども右は主として形狀に就て區分したるものなれば混同すべからず。前者は古來より自然に發育したる村落に多く後者は近來に發達したる村落に多し

本邦の人民は南方より次第に北方に移住したるものなるが故に北に進むに從ひて次第に疎となるが如く、畿内よりは關東に於て疎となり、北海道に至れば更に疎となる。

第二節 都曾の意義

一般に都曾と稱せられるゝ人類團躰には市、町、區、市街、都府等の異名ありて、其中には尠なからざる大小の階級あり。其大なる者に於ては一見明瞭なれども其小なるものに至りては村落との分界極めて不明瞭なり。是に於てか都曾の意義を劃定するの要あり。近來行政上の便宜より、將た共同生活の便益上より次第に村落の增大を來し、其結果一方に一萬以上の人口を包有して尙ほ「村」の稱ある者あれば、他方には僅に數千の人口を有するも猶ほ市街の名稱を冠するものあり。之に於てか之が區別を單に人口の多寡のみによりてなすの外、他の標準を要するに至れり。斯くて觀察點を變じ、兩者を比較し、異動を考察するときは、他に一の著しき差異點あるを見るべし團躰の疎密是なり。新渡戶農學博士が都曾の定義を下して密集村落の大なるものと云ひ、更に人口の定限を萬國統計學者の決議に基き、人口二千以上を有するものとせるは、粗ぼ本邦に於ての觀察と符合するものと云ふべし。要するに都曾は人口二千以上を有する密集の永住的團躰を謂ふ

第三節 都曾の起原

商工業が原始的産業より社曾の稍々發達したる後に於て分化したるものなりとの理由は又た以て都曾が村落より分化したるものなることを說明するものなり。人間が原始的集合團躰たる村落より、別れて更に大にして、且つ密なる結合躰をなすや、必ず之をして分出せしむべき理由なくんばあらず。今各地に發生せる都曾を通覽するときは、左の如く彙類するを得べし。

一、外敵防衛の目的より聚落したる者

 

國家の國内統制の權力未だ充分に確立せざる時代にありて、互に相侵畧暴行を逞しうする時代に於ては、地方に於ける多少の財產を有するものが、其貯蓄の財產と、其生命とを保護する爲めには、勢ひ自ら勢力を造りて之が防衛に當るか、若くば他に安全なる塲所を求めて其庇䕃に依らざる能はざるは、現に無政府の狀態に陷る淸、韓諸國の實例に照して明かなる所。此塲合に於て國王の宮殿、諸侯の城地の如きは、彼等に取りて最も安全なる所たれば、此地に向て富裕者の集住するは自然の勢なり。是實に都曾の村落より分支したる最初の一と謂ふべきものなり。旣に貴族、之に從屬する臣僚、竝に之に庇䕃を求むる富裕者の集合所たり、此等の階級に依て活路を求めんとする下級の人民の聚落するは又た自然の勢と云ふべし

二、宗教上の目的よりして聚落したる者 

諸部族の崇拜の中心となれる神聖の塲所は、社曾未開時代に於て疾に都曾發生地の一たり

三、政治的活動の目的よりして聚落したる者 

この種の都曾の起生は前の二項の說述によりて容易に了解するを得べし。其防衛の目的より發生したるものと異なる所は、近來に於ては國家の權力集中せられ、國民の生命、財產は何れの地方に於ても安固になりたるが爲めに、其防衛の必要は消滅したれば集合する所の人民は、國家の政務に與かる官吏、及び政務の關係者及び其等を相手として生活する人民たるの差あるのみ。

四、美術愛玩の目的よりして聚落せし者 

人間の生活は單に物質的、肉躰的快樂に甘ぜず、衣食の生活に餘裕あるときは夫れ以上の精神的快樂を欲望するに至る。是に於てか人工美術品若しくは天然美術の保有地は此等の人士の心目を娯ましむる爲めに其餘財を投棄すべき必要の所となる。斯くて風光明媚の地、美術建築物の集中せる塲所は、單に此輩の時々の遊覽若くは寒暑の避難所たるに留まらず、終には閑雅なる別墅を見るに至り、從って是によりて活路を求むるものゝ聚落するは他の諸項に於けると等しく因りて以て玆に都曾の起生するに至る。

五、學術研究の目的によりて聚落したる者 

學術研究の目的より人民の聚落するによりて都府の生起し得べきことは前諸項によりて容易に推論するを得べし。純粹に此種の起因を有する都府は本邦に於て其例を見ず、多くは都會の發生の後に添加せられ、其都府發達の一勢力となるに留まるのみ。されど歐米に於ては大學の設立の爲めに大都府となりしものは珍らしからずと云ふ。彼の英國のケンブリッヂ或はオックスフォルド等は都府の名稱と云ふよりは、大學の名稱として世界に名高きは、即ち其起因を説明するものと云ふべし。

六、經濟的活動を目的として聚落したる者 

經濟的原因によりて都府の生起することは時勢の發達と共に益々多くなれば殆んど解明を要せざるべし。蓋し一地にして人生に重要にして且つ多量なる特殊の物産ありて工業の起るに足るものあるか、若くは其地にして各異の人民と相接觸するの機會に富みて商業の計營に便なるときは人類の貴賤、貧冨、凡ての階級の競うて之に聚落するは見易き所なればなり。

第四節 都會の發達地

既に都會發生の源因を觀察したり。其中には殆んど人的源因多くして地的關係の甚だ薄きものなきにあらず。然かも少しく考察するときは其等とて尚ほ全く地的關係を離れたる偶然のものあらず。其間には多少の關係を認むべきものあり。近來發生の都府の如き全く地的原因によるもの多ければ、之を考査することは單に學術上に於て興味あるのみならず、實用に於ても頗る價値あることなるべし。

第一 防衛的原因によれる都府の發達地

之を述ぶるに當りては勢ひ城廓、堡塞の地的關係に論及せざるべからず。熟々現今各地方に殘遺する古代の城廓、堡塞を觀察するに築城者の勢力の多少によりて其位置に三種の著しき相違あり即ち築城者の勢力、其敵を壓伏するに足ると自覺する塲合㈠、其勢力、對敵に壓倒せらるゝを恐る塲合㈡、其敵に對する勢力の强弱の確認する能はざる塲合㈢、によりて城廓の位置を異にする之れなり

一、築城者の勢力其敵に壓倒せらるゝ程なりとの恐怖ある塲合若くは然らざるも外敵の來襲に備ふるに汲々たる塲合に於ては居城を造營するに當りては勢ひ侵畧的よりは、先づ防備に便なる地勢を相せざるべからず。即ち攻むるに難くとも、守るに易き所ならざるべからず。敵を擧登の途中に瞰下して防ぐを得べき小山の山頂⑴、敵に對し嶮山を前にし、之を防禦の障壁となし得る山道の麓⑵、嶮道を以て外に通じ、山丘に四圍せられ、天然の城廓をなせる臼谷地⑶、の如きは此條件に適當する所。

上古築城術の發達せざる時代の城塞が、多く山頂に在るは其一證にして、神武天皇の大和平定の當時の諸酋の城塞が各所の山上に在りしが如き、古の羅馬城はチーベル河上、七丘の上に在り、而して當時の敵城も之を瞰下し得る程の山腹に在りしが如き、或は希臘の雅典の城砦が丘山にあるが如き、其他後世に至りても楠公の固守したる千破城(以上)⑴、北條氏の小田原城⑵、の如き、賴朝の覇府を開きたる鎌倉⑶の如き是なり。

二、築城者の勢力其敵を壓するに足るとき、即ち勢力内に餘りありて外に洩れんするときは外敵の來襲を顧慮するを要せず。侵畧に便利なる位置に居城を定むるに至る。敵國に近接したる平原及び海岸は即ち其條件に適當したるものなり。

秀吉の大阪城、家康の江戸城の如き、在るは彼得大帝が、セント・ピータースバーグを歐洲の文化を窺ふ露國の窓牖なるべしとて内地のモスクバの捨てゝ出てたるが如きは即ち其例なり。

三、既に勢力は以て敵を恐るゝに足らざるを知り、然らざるも築造術の進步の結果、防禦と共に侵畧に便宜なる位置に出づるに足るとなすも、其勢力に盛衰あり、又た敵國にも盛衰あれば、少しく恆久的遠謀をなすものは、勢ひ平原及び海岸中に於ても侵畧に易くして、且つ防禦に便なる土地を選ぶに至る

大河の下流に於ける河島、或は河口に於ける三角洲の如きは之が防禦を施し易く、而かも容易に橋梁を架し、水路を利用する諸般の便利あれば、中古以後は多くは此地に居城を築くに至れり。大阪城、廣島城、江戸城、巴里、伯林等は即ち是なり。

第二 宗教上の起原に基づく都府の發達地

神靈の出現、若しくば天神の降臨地として口碑、傳説に存する所、建國史上に於ける皇祖の肇業の地、聖賢、高僧の生、死の地、及び宗教開祖の地等は皆な後世永く社會崇拜の中心點として都府の發達地となるものなり。今此等の土地の地理的關係を視るに、多くは山間幽邃の地に在るか、若くは海邊僻陬の地に在り、之れ天然の利便を缺くと雖も、宗教の修行者の熱心によりて忽ち林間千百の僧坊舎及び巡禮者の旅寓を現出するに至る。尤も靈地の一般に通ずる特性と云ふべきものは、槪ね俗塵を脱したる靜隱の境にして且つ森林を控え幽寂と莊嚴とを極むる所に在るを常とすれば、此靈地の接近して直に都會は發達せずして、此靈地の入口に當る山麓等 の、水陸交通上に多少の便ある地に發達するものなり。

本邦に於ける佛教徒の崇拜地となせる各宗の本山の地理的位置を觀るに、相反對せ二種あるが如し。一は神聖地としての普通の條件たる雜遝せる社曾を離れし幽邃なる山林地にして、主として修養上の目的より選定せされたるものゝ如き、多數宗派の本山所在地是なり。他は特に淨土眞宗に於て見る所の、殊更に繁華列肆たる人間の集合に更なる地に在る者にて主として布教濟度の目的上より相せられたるものゝ如し。

第三 政治上の起原に基づく都會の發生地

政治上の條件が防禦的、軍事上の條件と分離し、單獨なる政廳の所在地たるより都府の發達したるは本邦に於ては漸く維新以後にありと云ふべし。故に純粹の此例證は新開地たる北海道に於てのみ之を觀るを得べし。 札幌區の如きは慥に開拓使廳の設置に起因するものなり。然れども其位置たるや、豫め交通系統の中心點たるべき地を相するを常とすれば、多くは經濟上によりて發達せる都會地と一致するものなり。

第四 美術的原因に基づく都府の發達地

人類の愛玩歎賞を博すべき美術に天造との人工との二種ありことは前節に觀察したるが如し、人口美術中に於ても都府の起原となるものは壯宏なる建築物にあり。今此等美術的建造物の所在と地理的關係を考察するが爲めに先づ本邦固有の美術の發源を按ずるに上古の美術は進獻に起り、中古以後の美術は尚ほ進獻と好事とに困ることは第二十四章に陳べたるが如し。然るに進獻の誠意の最も純粹に發揚せらるべき建造物の名工によりて大成せらるゝは主として神社、佛閣、皇室の宮殿、若くは將軍家の廟社等にあれば、美術的建造物の所在地は崇拜の中心點、宮城、若しくは大諸侯城廓の所在地と槪ね一致す。

伊勢の宇治山田、尾張の熱田、信州の善光寺等の如き是れなり。日光の如きは崇拜の中心點と云ふよりは寧ろ美術的建造物に在るが如く、即ち本項の都府の最も適例といふべし。

人工的美術は前陳の如くして地的關係尠しと雖も、天然美術、即ち風景明媚の勝地たるが爲めに都府の起源となりしものは少からず、日本三景の各都府、須磨、明石の如きは即ち其例なり。山と水とは風景に缺くべからざる要素なれば、此種の都會發達地は、海岸、湖畔若くは川の上流に在りと云ふを得べし

第五 學術上の原因に基づく都會の發達地

純粹に學術上の原因によりて特發したる都府は本邦に其的例見えずして既設都府に設立せられ、次で其都府の隆盛に一の勢力を附加するに留まることは前陳の如くなれば、之が發達地も亦た特論の要なしと雖も、假りに若し將來此種の者ありとせば特別なる實業上の學校を除くの外は、一般に研學及び修養的學校の共通性として繁華閙熱、風俗輕薄にして學生を堕落せしむるが如き實業的都府を避けて、閑靜にして衛生上の便益なる土地を選定するを可とすれば、一般に右の條件に適當したる塲所にして交通に餘り不便あらざる閑靜の地に勃興すべしと云ふを得。 第六 經濟上の原因に基づく都府の發達地

此中に特殊の物産に困りて起るものと、通路系統の結節點に困りて起るものとの二種あり。然るに此等の事は既に前諸章に於て陳べし所なれば左に發達地點を列擧するに止めん。

㈠特殊物産の利による起る都府

⑴生産原料の特産地 {水産物の豐富地付近(那威のペルゲンハンメルフェスト等)有用鑛物の産地附近(佐渡の相川、但馬の生野、九州の有田等)

⑵生産原動力の産出地 {燃料産地附近(北海道の夕張、幌内、露西亞のバク等)水力の所在地附近

㈡貨物の集散の便利により自然に發達する都府

⑴河水路の結節點 {河口(隅田河口の東京、吉野河口の徳島、信濃河口の新潟等)海船遡上の極點(楊子江の漢口、メーコン河のサイゴンメナム河のバンコック等)河船溯上の極點(楊子江の重慶、石狩川の空知太等)舟航河流の集散點(石狩川の旭川、月形、江別、楊子江の九江、漢陽等)

⑵湖水路の結節點 {湖頭の邊(霞ヶ浦の土浦、高濱、洞庭湖の常徳等)頭脚の邊(琵琶湖の大津、洞庭湖の岳州等)

⑶道路の結節點 {圓形平原の中央點(小細亞のダマスカスの如きは粗ぼ之に當らんか)橋の所在地(前橋、豐橋、橋本、英國のブリストルケンブリッヂ等)峠の麓(碓氷峠の麓に近き高崎、上田、箱根峠下の小田原等)山脈の端の近所、谿谷の入口、地峽の狹き所、海峽の最狹岸等

⑷海路の結節黠 良港の沿岸(第十五章參照)

⑸鐡道の結節點 {其交叉點(道路の集點と畧ぼ同し)其終點(特産物の所在地及び港を一致す)鐵道は貨物旅客を滯泊せしむることなければ單に其交叉點のみにては都府發逹に大影響なし。

第五節 都府の吸引力及盛衰

以上吾人は各地に現今存在する所の都府につきて其起原を觀察したり。而かも吾人は當然之に附帶して起るべき一問題を看過したり。否是れ隨時此問題に接觸せざるにあらざりしかども唯だ偶然に論入したるに留まりて未だ明瞭なる對象をなしてにはあらざりき。何ぞや前節の各項の原因が、何故に都府を發生せしめ、又た發逹せしむべきかを明瞭に推究するの問題是れなり。此れ其實前項の起原と分離して考ふべからざれども、吾人は稍々着眼點を變じ、攻究することにより都府の吸引力なる名稱を下すの不當にあらずして且つ便宜なるを信ず。

夫れ一都府の成立し發逹するは人口の群住するによる。人口は偶然に群住するものにあらず、多くの人口が都府に群住するは彼等の目的が或る點に於て一致するを以てなり。果して然らば此の目的の一致は之を都府の吸引力と見做すを得。何となれば人口は之によりて離散をなさず都會は之によりて其存立と繁榮とを得るものなればなり。即ち各種の都府各特殊の吸引力を有して其中心點に向て人を誘致し、密聚せしむる所のものなり。今ま其吸引力の重要なるものを分類すれば左の如し。

一、防衛的 二、政治的}

三、宗敎的 四、經濟的}原始的吸引力

五、學術的及び敎育的 }

六、美術的及び娯樂的 }

以上の諸引力は實に都府發逹の重要なる原因にして、過去に於て將た多くは現在に於て尚ほ其勢力を逞しうするもの唯だ之れのみにて現在の都府の總の存立を説明し得べしとは云ふべからず。都府を生起せしめたる原始的吸引力の既に全く消滅したる後に於ても、尚ほ其都府は滅亡することなくして長年月の間、其生命を維持すればなり。然らば之をして生存せしむる力は何ぞ。

 七、富若しくは資本}

 八、特殊の技能  }分支的吸引力 

 九、惰性     }

此力や原始的引力によりて都府の發逹したる後ちに生ずべき勢力なれば以上原始的引力に對して分支的と云ふを得。原始的引力の性質に就ては最早玆に特論の要なかるべし。但以上の如く區別したりと雖も中には實際に於て區別し能はざるものあり。防衛的と政治的、美術的と宗教的、政治的と智能的等の如きは殊に然りと雖も、説明の便宜上姑く之を別つのみ、而して又た其中には實際に於ては更に精細の區別を要するものあり。政治の如き、尤も然るものにして行政、司法、立法、軍事等に細別するを得べし。とは貴族富裕者の聚落するによりて或は他の方法によりて堆積したるものを云ふ。其事業の計營に供せらるべきものは資本なり。資本は所謂普通の資本のみならず、製造塲、器械、人工の交通方便等の特殊の資本をも云ふなり。富若くば資本が吸引力たるはそが都會に堆積するときは他の吸引力なくも、他地方に於て當座不用の物品を購入し、貯蓄して、後來の好時期を待つを得べし、從って商業は之が爲めに起り、他の富裕ならざる都府と拮抗し得るが故なり。特殊の技能とは美術若くは其精功業の熟練等にして都府の永續より漸次に發逹し、容易に他の模倣し能はざる性質のものを云ふ。其が吸引力となるは此等の力は一朝都府の主たる吸引力の消滅するも猶ほ都會の衰頽を防遏するを得るが故なり。惰性とは住民の容易に其居住を轉移せざるの性質是なり。家族、親族の關係、住宅生活上の便宜及び他鄕の恐怖等は此性質を生じ、又た强からしむる主なるものなり。封建時代に於て俸祿の爲め、若くは其他により城下に聚住したるものが、一朝廢藩となりしに因り、其住地に於て活路を失ひしに拘はらず、容易に他に移住する能はずして都會の衰退に抗するが如き是なり。されば此を吸引力と云ふよりは寧ろ分散の防遏力と云ふこと適當ならん。

右の一種類若くは數種類の吸引力によりて成立し、現今各地に存在する都府の中に自ら大小盛衰の別あるを觀れば、各種類の吸引力の中にも强弱の程度あるを知る。而して同種の吸引力にも時の古今、人民の進否によりて强弱の程度を異にす。吸引力の種類及び程度の、增減する所は即ち都府の盛衰の生ずる所、是れ現在の都府の盛衰を觀察せんとするものゝ須らく注意すべき所なり。防衛的、軍事的引力が國家主權の確定せざる未開時代に於て及び未開の國に於ては人口の吸收に頗る强大なる勢力を有することは至る所の城廓の所在地に大都府の發生せること及び現に淸韓諸國に發生しつゝあるによりて知るを得べし、然るに時勢進歩し、世の泰平に赴くに從ひ、漸次に其勢力を減じ、今や開明國に於ては殆ど住時の遺物として存在するに過ぎざるの觀あるは、以て其强度に著しき差等のあるを觀るべし。是れ即ち我國封建時代に成りたる舊都の衰勢ある所以なり宗敎上の吸引力も亦た防衞的引力と同様に時勢の進歩と共に滅却するが如し。蓋し人智の發達に從て宗敎心の減退するか否かは速斷する能はざるも、宗敎と崇拜地との關係が、人智の發達と共に踈隔するの傾向あるは爭ふべからざる事實なり。發達したる人民は必ずしも宗敎の起源地、其他の靈地を參詣せずとも内心の信仰によりて其宗敎心を滿足するを得るに至るが故なり。又た宗敎的引力は之を信仰する國民の特質、及び之によりて形成せられ、歡迎せらるゝ宗敎の種類によりて强弱の程度を異にするが如し。美術的引力は若し宗敎的引力を協合したる塲合に於ては其增減の影響を被むれど、然らざるときは必ずしも人智の進否、時の古今によりて著しき變動なく、而して其變動あるは寧ろ他の原因より來る。而して交通機關の發達と共に遊覽者をして永く滯留せしむる能はざるに至りたれば此點に於て引力を減ずるが如きも、一方に於て往時は單に貴族富豪者のみを吸引したるに反し、今や多數の人民をも吸引することを得るに至りたれば之によりて前の減少を補ふを得べし。

されば美術的引力の都會、及び美術的引力を含む宗教的引力の都會の人民が其都府の衰頽を拒がんとならば其吸引せらるゝ人民の古今に於て變化あるを注意し、從來の貴族的待遇法を一變し、平民的となし、簡易に他數の人民を誘致するの工夫を爲さゞるべからず。

防衛的引力及び宗敎的引力の人民の發達に從って其强度を減ずるに反し、時勢の進歩と共に其强度を增加しつゝあるものは經濟的、政治的及び智能的吸引力にして就中經濟的吸引力益々他の勢力を壓し、往時の防衞的吸引力の位置に代はり、而も更に强大となるの觀あり。智能的吸引力にありても往時は學問は僅かに貴族、僧侶の獨專なりし、時代には僅かに少數の階級に對して吸引力を有したるに停まりしが、今や四民平等に普及せらるゝに至りたれば、昔日に比すれば非常の强力を有することとなれり。是れ英國に於けるケンブリッヂヲックスフォールド等が學校の爲めに一都府を爲したる所以にして、東京に十餘萬の書生の集合する所以也。政治的引力の如きも、鎌倉時代の如き守護地頭を全國に分遣したる時代に於ては、其力の微弱なりしことは一度鎌倉の舊都を訪ふものゝ容易に觀察せらるべき所。之に反し德川時代に參勤交代と稱して全國の諸侯を江戸に翕合したるに至りては其吸引の遙に强大となりしことを推知するを得べし。現時交通の發達に伴ひて牧民官其地の官吏を普ねく分遣して事足るに至りては再び其引力を弱むるに加へ、近來又た地方の自治制益々行はれんとするに伴ひて、益々其勢を微弱ならしめんとするものゝ如し。されど一方には國家のなすべき職務が往時に比して增加し、從て其經費は遙かに增加したれば、この點より吸引力は愈々增加せりと云ふを得。各種の吸引力は時代の古今、國民の進否によりて其强度を異にするのみならず、同一の國民に於ける同一の時代に於ても、種々の臨時的原因のために强弱の差を顯はす。而して其原因中の最も主要に、且つ最も普通なるは經濟的事情是なり。經濟上、事業の催進の時機には、各種の吸引力共に其强度を增すと雖も、其衰頽の時期は著しく强度を減ずることは社會の不景氣が都會に於て最も早く顯はるゝによりて知るべし。されば都民は最も社會の變動に感動せらるゝ人民なりと云ふへし。尤も此强度增減の程度は、各種の引力の間に於て差違あり。最も影響あるは美術的吸引力及び宗敎的吸引力にして政治的、及智識的吸引力之に亞ぐ、各種の吸引力に影響を及ぼす事情には疫病の流行、戰爭等、多少單獨に働くものあるも多くは之が爲めに社會の經濟的事情に變化を及ぼし、然る後に吸引力に影響するものなり。

以上吾人は都府の吸引力の種類を區別したり、然れども少しく細思するときは各種の引力は必ずしも單獨に作用するにあらざるものなることを發見すべし。即ち此所に一の吸引力が生ずれば之と連絡する他の吸引力を伴生し、因は果となり、果又た因をなし、愈々其引力を增して以て益々其都府を發育せしむ。現今の一部府たるものは、實に數多の吸引力の集合せる結果たるなり。例へば防禦的吸引力は次で富裕の資産家を誘致し、玆に富力の加はるが如き、又た中央政府の所在地は之に關係せる經濟上の吸引力を伴生し、また貴族及び富裕者によりて生活をなすべき畫家、彫刻家、學者等も集まり來りて自ら美術的工業の發達を來し之に於て更に引力を加へ、甚しきは宗教家の如きも政權の庇蔭を藉らんとして集まるが故、之に於てか更に宗教的引力加はる等。學術的引力の中心的は自ら之に關係したる書籍、印刷物等の事業起り、或は商業的都府に於ては自ら實用的工業起り、一製造事業の生ずる所は更に之に附帶したる事業の起るにより更に引力加はる等、要するに現今の都府は此等數種の引力の加はりて成れるものなり

引力の合成は都府の盛隆を來し、之に反して其分散は都府の衰頽を來す都市の引力の强弱は直接に其影響區域の廣狹に於て現はる。是に於てか吸引力の範圍を觀察することは都府の將來を卜するに於て頗る緊要の事となる

都府吸引力の範圍、即ち都府の影響區域交通機關の發達に伴うて變化す。交通機關の進歩と都府の發生との關係を表はすに就て新渡戸農學博士が三期の時代を區別したるは都市の響域の限界を觀察するに當りて引用するに頗る適切なるを信ず。大要に曰く「徒歩時代には農夫が市塲に徃復する一日の里程は凡そ四五里の範圍内に在るが故に其倍數なる八九里の距りて以て都會勃興し馬背利用の時代に至りては其速度徒歩の倍數に當るが故に十六里位を距てゝ都會起り、尚ほ次ぎの汽車の時代になりては都會勃興距離は非常に遠ざかる。要之、交通機關の發達に連れて、都會の距離は益々遠ざかり、而して其間に發生したる前期時代の小都は、次第に衰滅するに至る云々」と、現今各地に散在せる小都會、即ち吾人の所謂鄕都なるものは槪ね馬背利用時代に發生したるものなれば、其引力區域は大凡八九里の圓の半徑なりとするを得べし。汽車時代の都府の引力區域の限界は他の二時代の都府に於けるが如く、爾かく容易に發見し得べからず。此に至って此時代に於ける都府の發生すべき地を再觀するは無益にあらざるを信ず。前二時代の都府發生區域の限界を定むる條件は人馬一日の路程なりき、然るに汽車時代となりては右の如き其限界の定まるべき者なく、而して都府の發生するに距離的條件は殆んど消滅して寧ろ他の條件に支配せらるゝものゝ如し。然らば其條件とは何ぞや。想ふに[#右に丸傍點]現時に於ける經濟的都府を發生せしむる最要の條件は運搬機關の交換にあり。如何に交通の要衝に當ればとて、若し其地に於て特に運搬機關の交換を要するなくんば貨物は悉く其地を素通リして他の轉換を要すべき所に輻輳すべし。蓋し前の時代に於けるが如き逗留を要すべき一日程なるもの既に存せざればなり。此理由によりて鐵道の中心點をなす都會と雖も他の事情なくば單に貨物の經過地となりて、之れが爲めに生ずべき商業上には左程の望みを囑すべからさるなり。現今に於て併用せらるゝ貨物の運搬は動物、馬車、汽車、河航船、沿海航行汽船、大洋航行汽船等を主なるものとすれば、是等諸機關の相互間に於て轉換を要する所こそ即ち現時に都府の發達隆盛する所なれ。現時に於ける都府發達條件を具備する地點は、右の如くなるが故に、此によりて發生したる都府の影響區域の自然的限界は運搬機關の相等しきときは此等各都府間の距離の等分點は即ち各都府の響域限界と見做すを得べし。例へば同一の河川の沿岸に發達したる上下の二運搬地ありて、等しき陸運を水運機關に轉換するものとせば、此各都の間に於ける影響區域の限界は兩都府の中間點にあるべし。汽車若くは沿海航行船の貨物を洋航汽船に轉換すべき位地にある港都に於ても其關係は前例と異なることなし。

第六節 都府の種類

複雜なる事情によりて建設せられ多くの戸口を収容し、複雜なる活動を營む現在の多數の都府に對して分類を試みんとす。固より至難の事たるや論なし。然れども吾人は既に起原を勸察し、又た吸引力を觀察したれば玆に其分類を試るも强ち無妄の擧にあらざるべし。

第一 起源及吸引力によりての區別

一、城廓的若くは防衛的都府 

維新前の「城下」と稱せられたるものは此種にして「尾張名古屋は城で持つ」とは此の性質を表はすもの。其位置は前述の如く險道を陒するか若しくは水を以て圍繞せられたる河島に在りては建都の最初の原因となれる城郭を中心として、其周圍に圓形或半圓形に發達するを常とす。されば四周より入る所の通路は大體に於て其中心に向ひ恰も光線狀をなす。但し些細の點に至りては必ずしも規律正しからざるのみか、却つて殊更に道路を迂回し、以て防衞の助けとなしたるものあり。此都府は其國の地勢によりて、造搆に明に二種の相違あるが如し。一は北京、天津、其他滿州朝鮮若くは歐洲大陸の巴里等に於て見るが如き平原國の都府の四面に堅牢なる城璧を築き其中に全部の人民を包容し、四周の城門によりて内外の交通をなすものにして、は本邦各都府に於て見るが如き山岳國の都府の城廓の四周に城壁及び堤濠を築き防衞をなすのみにして市民は悉く廓外に投置せらるゝ所のもの是なり。惟ふに本邦の如き山脈縱横に亘り、國内に更に無數の天然區劃の存する所に於ては、四周の山脈を其外廓となすが故に平原國に於ける人爲的城壁は左程要用にあらざるが爲ならん。

二、歷史的都府 

城廓都府中には京都、奈良の如き永く全國政治の中心たりし故を以て現在に尚ほ當時の遺跡、遺物若くは遺習を殘存すによりて維持するものあり。されば之を歷史的都府と稱す。

三、宗敎的都府 

建市の最初の原因の一つは實に神社佛閣にてあることは猶ほ城廓に於けるが如し、然れども市街の構造に至りては社寺は多くは後に欝蒼たる森林を有する山麓にあるを常とすれば、從て市街繁昌の中心は社寺門前に在りて之より縱横に擴張せられ、殊に正面の縱路は最も商業の繁昌する所となる。而して市民の種類に至りては城廓都府と著しく反對す。彼れに在りては數十年乃至數代の辛酸によりて貯蓄したる財產保護の庇䕃を受けんとする目的を以て、領内の富裕人民の聚合するに反し、是に於ては一は自己の悲運に對して神佛の加護を得んとすると、一は比較的に富裕なる參詣者の慈悲心に投じて多少の施與を仰がんとの目的を以て蝟集し來る貧弱なる人民なる是なり。本邦にては此種の中を神都佛教に分かつを得。

四、政都 

政治的起原の都府にして、此中を行政都、立法都、司法都、軍都等に區別するを得べし。

五、美都 

風景及び美術物等の爲めに發達せるもの。

六、學都 

學校の所在の爲に發生せるもの。

七、工都 

製造業によりて發達せるものにて此中を其製造する原料に關係し、鑛物的、農產的、水產的、將た美術的の區別をなすを得べし。

八、商都 

其位置に關して、内陸的と海岸的(港都)とに、及び發達の位置に關して尚ほ幾分の區別をなすを得べし。

第二 影響區域によりての都府の區別

既に都府吸引力の强度を見、引續きて其强度は自ら一定の範圍にあるを觀、之に向って都府の「影響區域」なる名稍を下したり、都府は此點より區別するを得べし。

一、國都 

其影響が全國に及ぼすものにして即ち吸引力の及ぼす範圍が全國に亘るもの之なり。其吸引力數類あれば此内の一種若くは數種に於ても尚ほ國都たるを得べし。此意味に於て吾人は國都を單に帝都即ち皇城若くは中央政府の所在地のみに限るべからざるを信ず。是に於てか國都を左の數種に區別するを得べし。

⑴政治上の國都 

一國の主權者たる帝王の宮殿の所在地たるもの。從て中央政府の所在地なる是なり。即ち我帝國の東京の如き、皇城の下なるによりて内閣以下八省の行政廳之に直接し、之に關係したる數多の分科を有する大學、及び師範、工業、商業等の各專門學校、陸海軍の要求に應ずべき人物養成の陸軍大學校、外山學校、士官學校等あり。又た大審院なる最高級の司法廳、立法權に參與するの帝國議會の兩議院、財政上に國庫金の取扱をなす日本銀行、會計檢査院等あり。凡そ此等のものは政治上の國都として自ら具備せらるべきものなり。

⑵經濟上の國都 

政治上の國都、既に一國の中心點となること前陳の如くなれば、自ら經濟上に於ても一部若くは全部の中心となるは至當なる所。東京は實に實用品製造の一中心にして從て商業上の一中心たるなり。此の行政上の國都は經濟上の國都たるに便なるも、一方には皇居要害上其他の事情より通商貿易に最便なる開港塲の位置を避くるが故に、商業上の中心は却て他に起るの傾向あり、大阪は即ち是なり。彼は我國、内地商業上の中心市塲にして、其富力、其經濟上の影響力却て東京を超え、且其れとは特別の生活をなせり。英國の倫敦に於てはテームス川により海港と同樣の船運の利あるを以て政治的國都と經濟的國都との結合せるなり。經濟上の國都は物產の供給區域の全國に及ぼすの意味にあらず、若し然りとせば全國の特產物の產出地は悉く國都たるの不都合を生ずべし。

⑶歷史的及美術的國都 

露國のモスクバ府の如き、我帝國の京都の如き、現在に於て政治的若しくは經濟的吸引力は發生せざるも、多年の間政治的國都たるによりて百般の工藝、美術、富力の中心となりしによりて其吸引力依然全國に及ぶものなり。京都の如きは帝都の江戸に遷りたれば多少の衰微は免れざれども今に猶ほ國民を吸引するに一種にの勢力を存すれば歷史的、美術的國都なるに背かざるなり。

二、府縣都 

府縣の行政廳の所在地の都府を云ふ。其影響區域、即ち吸引力の及ぼす範圍は行政上の便宜を謀りて規定したる府縣の全域たり。我國にては政治上の便宜により一道廳三府四十三縣に區劃したれば同數の廳府縣都ある譯なり。

既に行政上の所在地たり、之に隸屬し聯帶したる諸種の機關の具備し發達するは當然なり。即ち先づ教育上に關して府縣の直轄たるべき師範學校、第一中學校、高等女學校、其他府縣の需用に應ずべき人材の養成所、交通上に關しては其管轄内に於て最高級の郵便電信局、財政上に關しては縣内の税務署、或は現金の出納機關たる府縣本金庫、隨て府縣廳とは直接の關係を有せざる地方裁判所、又た從て府縣の監獄署、其他鑛山監督局、大林區署、縣會議事堂等此等は各特殊の引力を有するものなり。

三、地方都 

吾人の所謂地方都とは其影響が二府縣以上數府縣に及ぶ者をいふ。反言すれば通俗の所謂奥羽、九州、中國、等の各地方に及ぼする吸引力の中小を云ふなり。吸引力の種類によりて數種に分つを得べし。

政治的影響に於ては司法部の控訴院の所在地、教育上の高等學校、軍事上の師團本部の所在地之れに當る。經濟上の影響より見れば開港塲粗ぼ是れに相當す。

北海道廳の所在地なる札幌、臺彎總督府所在の臺北は、府縣郡なると共に地方都にも入るべきものなり。何となれば其影響區域、他の地方都と異ならざればなり。中國の廣島の如きも亦た殆んど此點に近きものなり。

四、鄕都 

一小河の流域或は一郡若くは數郡に其影響を及ぼすものをいふ。多くは其吸引力の强度及び範圍は府縣都以下にあれば其人口又た府縣都に及ばずと雖も、而かも往々府縣都以上の人口を有することあり。

五、洲都 

其影響殆んど一洲に及ぼすもの、極東貿易の中心とも稱せらるゝ上海、香港、歐州に於ける巴里、北米に於て紐育の如きものなり。若しも中古に溯らば喜望峯回航路發見前の伊太利のヴェニス、其發見後一時歐州に於ける東洋貿易品の倉庫となりし葡萄牙のリスボン、荷蘭のアムステルダム等の如き是なり。

六、世界都 

其響域の殆んど全世界に及ぼすものをいふ。世界商業の中心市塲として其影響全世界に及ぼす倫敦の如きは即ち是にて、若し又た學問上よりすれば、獨逸は、現世紀のの學問の淵叢と稱せられ、其中心が殆んどベルリンにあるが如ければ、此點に於てベルリンは世界都と云ふべきなり。

參考要書==▲志賀重昂氏「地理學講義」第十章▲新渡戸農學博士「農業本論」第六章▲同氏講演「現今世界の趨勢」▲[#左に傍線]ロッシェル[#左に傍線終わり]氏「商工經濟論」第一篇(平田東助外三氏)譯

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