動詞の文法カテゴリーの一つで、動詞主語の改変と文の組み立て直し現象を含む文法現象の名称。日本語では、使役、受身、可能などをヴォイスの下に扱っている。
使役は、ヨム(読む)-ヨマセルといった語形対立を説明するもので、語形の対立だけでなく、構成要素の導入がある。つまり、
1. 太郎が 本を 読む。
1' 次郎が 太郎に 本を 読ませる。 (構成要素として「次郎」を導入)
となる。
自動詞の場合、次のようになる。
2. 花子が 遊ぶ。
2' 母親が 花子を 遊ばせる。 (構成要素として「母親」を導入)
2" 母親が 花子に 遊ばせる。 ( 〃 )
*「花子を」だと強制的なニュアンスが生じ、「花子に」だと花子の意志を許可するニュアンスが生じるとされる。
3. 雨が 降る。
3' 台風が 雨を 降らせる。 (構成要素として「台風」を導入)
2と3の違いは、典型的には2が意志動詞、3が無意志動詞であるところにある。「花子に」では、補語の「花子」に意志がなければならない。
受身は、タタク(叩く)-タタカレルといった語形対立を説明するもので、語形の対立だけでなく、構成要素の入替や導入がある。他動詞においては、
4. 太郎が 次郎を 叩かれる。
4' 次郎が 太郎に 叩かれる。
となるのが典型的な受身(入替)である。こうした受身以外にも、
4" 花子が 太郎に 次郎を 叩かれる。
という受身がある。使役と同じく構成要素に第三者(この場合は「花子」)を導入する。この場合では、「花子」は「次郎」の利害関係者であると解釈される。
自動詞の場合、次のようになる。
5. 雨が 降る。
5' (私が) 雨に 降られる。(より自然な文としては、「試合は 雨に 降られたので、 中止になってしまった。」など)
雨が降ることによって、何らかの不利益を被る関係者を導入する場合が多いので「迷惑の受身」と呼ばれる。なお、4'のような文を「直接受身」、4”や5'を「間接受身」と呼ぶことがある。
可能は、使役や受身とは異なっているが、動詞の語形変化が受身と類縁性があり(古典語では同じ)、なおかつ受身のように主格ガが与格ニとなる現象が見られるので、ヴォイスの一類と扱うことができる。
6. 太郎が 荷物を 持つ。
6' 太郎が/に 荷物を/が 持てる。
7. 太郎が 納豆を 食べる。
7' 太郎が/に 納豆を/が 食べられる。
7" 太郎が/に 納豆を/が 食べれる。
主格が「に」となるのは、従属節中などでは普通であろう。なお、7”の文を「ら抜き言葉」と呼び、間違った表現とする見方があるが、現実に多く使われている表現であり、受身と語形変化が異なっているという弁別性などから、今後も一定程度広まっていくと解されている。
ヴォイス | 接辞 | 第Ⅰ活用型 (読む) |
第Ⅱ活用型 (食べる) |
---|---|---|---|
使役 | (s)aseru | yom-aseru | tabe-saseru |
受身 | (r)areru | yom-areru | tabe-rareru |
可能 | (rar)eru(正規・文書) (r)eru(新・口語) |
yom-eru | tabe-rareru(正規・文書) tabe-reru(新・口語) |
Voiceとは、ヨーロッパ語文法の動詞活用で、能動態active voiceと受動態passive voiceで異なった活用がなされていた(活用表paradigmが別だった)ことなどを起源とする文法概念である。言語によっては「中間態middle voice」を設定する場合もあり、どの言語にも統一的に適用できる文法概念ではない。したがって、他動詞の受身4'だけをvoiceとして扱い、使役(let,make文として扱う)や可能(canを用いる)、また英語に翻訳しがたい4"や自動詞の5'の間接受身をvoiceではないと判断するのは、日本語の分析にはそぐわないと言えるだろう。