文 sentence

 文は、完結した思想・感情などを表した言語単位である。形態的な基準は特に設けられていない。文章語では「句点(。)」で終わることが一応の基準とされる。句点ではなく「?、!」で終わるのは、句点相当と見なす。しかし、中止文や、リーダー(……)で終わる言いさしをどう扱うかなど、句点で終わらないものをの扱いが難しい。口頭語には句点が存在しないから、文章語以上に認定が難しい。口頭語資料は文字起こしされた資料であることが普通なので、文字化した人が句点を付けて、一応の文末を認定している。文と類似の概念に、「節 clause」「句 phrase」がある。「文」は完結した単位であるが、「節・句」は完結していない単位として扱う。
 ・私が学校へ来たときに、雨が降りだした。
という文では、全体が「文」であり、「私が学校へ来たときに」と「雨が降りだした」が「節・句」である。「私が~」「雨が~」は文全体の一部である。「私が~」を従属節(句)、「雨が~」を主節と呼ぶ。文と節(句)を厳密に区別する観点からは、「従属、主」などという用語は使わないことになる。

 日本語の典型的な文はいくつかの単語によって構成され、一定の構造を持つ(「太郎がご飯を食べた。」)。その構造を探求するのが「統語論syntax」である。主語と述語がそろっていることを文の定義とする立場もあるが、日本語研究では、山田孝雄の「喚体句」の提唱以来、主語と述語がそろっていなくても文とする立場が優勢である。喚体句とは、1単語だけで構成される「独立語文」であり、「火事!」「痛い!」などの1語文であるから、構造が見られない(「火事だ!」は「火事+だ」なので、喚体句ではない)。

 グリーンランド語(エスキモー語)などの「抱合語 incorporating language」では、独立して発音されない形態素の組み合わせによって文を作ることが可能であり、文全体を1単語と見なすことができるので、主語・述語などを文の定義とすることは出来ない。ただし、主語・述語を顕在的な単語や形態素に求めるのではなく、潜在的な意味構造に求める見方があり、そうした立場からは、主語・述語の議論も一定の意味を持つ。


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